理事長あいさつ

  • 学校法人 岩谷学園 理事長
  • 岩谷 大介
  • Daisuke Iwaya
  • 全国高等専修学校協会 理事
  • 全国高等専修学校協会 制度改善研究委員会
  • 神奈川県専修学校各種学校協会 専門学校委員会 副委員長
  • 神奈川県専修学校各種学校協会 高等専修学校委員会 副委員長
  • 神奈川県商業教育振興会専門学校部会 部会長

学校法人 岩谷学園は、創業者である岩谷朝吉が戦後の日本復興の願いを込めて生まれた学園です。学園は1945年に新たな帳簿組織を生み出し販売し、珠算を主とした実践経理研究協会を創業したのが始まりです。その後、1950年に川崎簿記珠算学校を設立し、岩谷朝吉が初代学校長へ就任しました。そして、1971年に学校法人岩谷学園の設置認可を取得し、1976年には専修学校法制定により専門学校へ移し、川崎簿記専門学校へ名称変更をしました。1980年には主体としていた地である川崎から横浜にも進出し、横浜簿記専門学校(現:1号館)を認可開校し、時代を見据えた珠算・簿記を主体とした経理教育を展開しました。
その頃から、2代目にあたる岩谷伸一は、先々を見据え、珠算・簿記に加わる新たな展開として『ビジネス教育、パソコン教育、実践実習教育』の3つの普及を打ち出し、新たな風を学園へ吹き込みました。
また、『楽しい教育』を学園のテーマへ掲げ、『教育の本質は何か?』と学園へ問いかけ、それを実現するための岩谷学園教育システムを構築することに取り組みました。それが現在も学園で活用され、学園のベースとなっている『教育のPDCAサイクル活用』、『学習成果のポートフォリオ』、『PA表』等々になります。学校の沿革としては、1985年に中卒者受け入れ機関の高等課程(後の岩谷学園高等専修学校)の設置、1989年に横浜簿記専門学校の3号館、1992年に4号館の設置、1993年に5号館の設置と施設を増築充実させ、大きく発展することになりました。また、それに伴い、幅広く教育のウィングを広げることに挑戦しました。2000年には美容の実践実習教育実現のために、岩谷学園アーティスティックB専門学校(現:岩谷学園アーティスティックB横浜美容専門学校)を認可開校しました。また、集大成として、1997年には横浜市都筑区にエクレス幼稚園を設置し、エクレス子供の家保育園、エクレスフィア、エクレスすみれ保育室等、現在の幼児教育の基盤を作りました。
学校法人 岩谷学園に受け継がれたこの素晴らしい教育の流れ、及び精神を後世変わることなく、また時代の変化を堅実に読み取り、子供たちと共に歩む未来を創出して行きたいと思います。そのためには、建学の精神である『我が学園は、教育を通して「努力心」「誠実心」「独立心」 を養い、平和社会の建設に貢献する人間を育成することを使命とする』ことを胸に刻み、毎日の教育に具体に一生懸命取り組む必要があると感じております。 教育業界は間違いなく転換期を迎えております。あらゆる変化を大切に汲み取る岩谷学園の今後の展開を楽しみにして頂きたいと思います。

学園長あいさつ

  • 学校法人 岩谷学園 学園長
  • 岩谷 伸一
  • Shinichi Iwaya

自分の人生を振り返ってみる。 学生時代はバンドに熱中、ラジオ番組やテレビのCMなどにも出演。 卒業後は第一期国税専門官として東京国税局に採用され、 法人税調査の仕事。退職後に英国へ留学。 そして、現在につながる簿記学校での教師生活。 よくまあいろいろなことをしてきたと思う。
しかし、今あらためて転機ということを考えてみると、 私の最大の転機は、父親が経営する学校の教師になったことだと思う。
実は私が小さいころは学校がまだ小さく、 家族全員で手伝わなくてはやっていけず、 学校が終わると家族全員で夜遅くまで教室の掃除をしたものである。 当時はサラリーマンの家族を非常にうらやましく思った記憶がある。 だから、大学卒業後に自分の父親が経営する学校に勤めることはあまり気がすすまず、 少々回り道をしてしまったようだ。しかし、この世界に入ってからは、 教職を自分の天職として意識するようになった。 自分の教え子が成長していく姿を見るのは実にうれしく、 教職に入ってよかったと心から思えた。
さて、今から約二十年前の話になるが、 日々の教育に没頭していた私に教育をもう一度じっくり考える機会が訪れた。 西欧八カ国を訪問する神奈川県教育事情視察団への参加である。 教育に対する考え方、これからの自分の教育に対する方向性、 スタンスといったものがここで培われたといってよい。 とりわけデンマークではすべての人に平等に開かれた教育を実践していた。 これからの教育の行方を実感することができ、非常に啓発を受けた。
平成6年:日本経済新聞「転機」に掲載された記事です。